40年前、自動運転はどう夢見られていたか
自動車の自動運転、何やら実現できそうな気分に、世の中はなっています。
自動車の自動運転、何やら実現できそうな気分に、世の中はなっています。現行の道路交通を形作っているいくつかの前提(道路や車の構造、所有者、規制)が変わらない限り、いくらITが自動車をコントロールできても、夢見るような自動運転の社会にはなりません。そのことはWEBRONZAだけでなく、もう15年以上もいろいろなところで論じてきています。この文章を読むような大人の方たちが、子どものころの図鑑やすごろくに書いてあったような自動運転の社会をこの世で見ることはない(つまり2050年ころに実現することはない)でしょうね。
では、その子供のころ、1970年代あたりに大人が夢見て子供向けに書いていた自動運転車ってどんなだったでしょう。私は自宅にそのころの図鑑『交通の図鑑』(1973年版、学研)を後生大事に持っていました。ひもといてみましょう。
まず、道路が全部自動車専用道路ですね。チューブに入っていたり、溝がレールになっていたりします。バイクや自転車は車道にも歩道にもいません。
横断歩道は、街路樹があるような道路にはありますね。自動運転だから自動車は強制的に止まるのですが、歩行者が無断で横断することに対するバリアはないですね。そこまで想定していないです。もちろん日本の風景ですから、インドで牛が横断したり、タイで象が停車したり、は描かれていません。
駐車場、書かれてないですね。到着したらこの車はどこにしまうのかというと、無人でどこかの駐車タワーか地下駐車場にでも入るのでしょうが、2015年で論じられている自動運転車はGoogle Carをもってしても無人走行は法規制で認めようと言う想定はしていないですからね。むしろ自動運転の本当に欲しい機能は低速度の無人回送ではないでしょうかね。
むしろこの図鑑には、超高速の貨物輸送用チューブが書いてあります。
この自動運転車、ガソリンで動いているふうではないですね。オイルショックの前に書かれているとはいえ、石炭の没落を一度見て、100%輸入に頼る石油の危険を感じていたであろう日本人は、この絵の車を電気モーターで動かしているようです。今のハイブリッド車を予測するような、ガソリン高速車と電動低速車が併合分離するケッタイな車も書かれています。
夢見る自動運転の未来ですから、文章にすらも当然ネガティブなことは書いていないです。食卓然として乗って、お茶している絵もあります。事故ったらどうするかとか、酔いませんかとか、揺れませんかとか、何もないです。
技術を予測して、生活シーンを具体的にイメージする。シンクタンカーにはこうした予想屋さんの側面も求められる節があります。私自身、情報通信産業という超ハイスピードで変化してきた領域で、いろいろな予測の当たりはずれを積み上げてきました。
プロフェッショナルとして、はずれる覚悟でたたき台として予測を言う。当たりはずれを一喜一憂しない。はずれから未来予測の教訓を得る。私のテーゼです。このシンクタンカーという職業は、企業ガバナンスやコンプライアンスの嵐の中で難しい仕事になりましたが、未来予測に対して前向きに取り組んでいきたいものです。(了)