日本のキャッシュレス化は進むか ~QRコード決済の普及と内外の状況から~

2019年12月26日 山下 喬昭

 今年も様々な話題があった。その中でも、特に筆者が注目していたのは、キャッシュレス戦争である。その文脈の中でも、特に話題に挙がっていたのは「QRコード決済」であろう。個人的には各社が利用者向けに提供していた20%という還元率自体も衝撃的であったが、あっという間に広まって、かつ市民権を得たことは「驚いた」というほかない。とある田舎でタクシーから降車の際、クレジットカード他、キャッシュレス決済手段が一切利用できないのに、「PayPayなら利用できます」という場面が何度かあった。これには本当に驚いたし恐れ入った。

 QR決済の普及が急速に進んだのは、利用者還元やスマホとの親和性もさることながら、加盟店数が多いこと、そして加盟店の負担が少ないことも要因であろう。加盟店数の話でいけば、大手のコンビニチェーン、スーパー、ドラッグストアで採用されている。また、加盟店負担については、QR決済の場合は当面は0%(クレジットカードは決済額の3~5%*1)、さらには初期投資もゼロのケースもある*2。

 QR決済提供企業サイドから状況をみてみよう。100億円還元キャンペーン*3や加盟店ランニングコストゼロキャンペーンを挽回する利益を生み出す魅力的な市場なのか。結論からいうと、非常に魅力的であるように見える。日本の2018年の実質家計最終消費(除、持家の帰属家賃)は約238兆円*4(民間最終消費は約300兆円)に対して、キャッシュレス手段として先行するクレジットカードの信用供与額は約67兆円*5と家計消費の約28%を占める。仮に10年で先行投資額200億円(第1~2回のPayPayの消費者還元額相当)を手数料率1%で回収*6しようとすると、単純に言えば年間2,000億円の市場が必要となる。これは家計消費の0.1%以下、クレカ信用供与額の0.3%程度の市場を押さえればよいことになる。もちろんこれに本来のランニングコスト全体が加わるが、考え方の試算を示してみた。

 キャッシュレス市場全体も確実に伸長している。(クレカ市場÷家計消費)は年間1%以上ずつ伸びていて、これの一部を奪う形でもよいだろうし、QRコード決済の利便性で以て新規に家計消費の市場を新規開拓してもよいだろう。経済産業省は「キャッシュレス・ビジョン」で2025年までキャッシュレス比率40%を目指しており、消費増税対策としてキャッシュレス還元も実行に移されている(図1)。

図1.日本の民間最終消費とキャッシュレス比率
(「キャッシュレス決済の現状」日本銀行決済レポートより)


 一方、海外へ目を向けてみると、日本のキャッシュレス決済比率は約21%(2017年)と、主要国中だいぶ低い数値であるとわかる。その数値と「1人当たりキャッシュレス決済手段の所持数」を掛け合わせて単純に整理すると、所持数5つほどまでは、所持数が増えるほど決済比率は上昇しており、所持数5つ程度から先は飽和しているようにも見える。おそらく、ここに該当する国・地域では、1人当たりのキャッシュレス決済手段の必要枚数を超過しているものと考えられる。この中でも日本の現金志向は目立っている(図2)。

図2.各国のキャッシュレス手段所持数と決済比率の関係
出典:日本のクレジット統計(2018年度版)「諸外国のキャッシュレス(カード決済)に関する統計」(一般社団法人日本クレジット協会)より、NSRI編集。一部欠損は他の値から推定。縦軸・横軸の各中央値を基準にして四象限化した。


 日本でキャッシュレス決済が広まらない原因として、一般的には(1)諸外国に比べ現金決済が便利で安心なこと、(2)その場で支払いが完結すること、(3)使いすぎる心配がないこと、などが挙げられている*7。歴史的経緯では戦後の日本で貨幣信用度が劇的に向上した影響もあるかもしれない。個人的には非常に納得するが、本当に日本人にはキャッシュレスが広まりにくい素地があるのだろうか。
 一つの事実として、数十年前まで東北地方の農家は「秋延べ」*8と呼ばれるキャッシュレス(信用払い)のエコシステムを利用していたようである。今と違ってコンビニやスーパーもない時代、小売店へ赴き、店の台帳に買うものを記載してもらい、秋になったら収穫・販売した農作物の代金で一括して払うという仕組みである。現在もJAなどによる延べ払い制度が、北海道の農家、酪農家の周辺に残っているようだ(但し、機械や牛など、比較的大きい買い物に限るようだが)。これ自体は集落単位でのファイナンスのリスクヘッジ策だが、一断面として「国民的なキャッシュレス受け入れの素地は十分ある」という見方もできるだろう。
 今後の日本でのキャッシュレス決済は、短期的には現状の規模にとどまると筆者は推定する。QRコード決済などの新規決済手段の拡がりはこの数年で目覚ましいものがあったが、普及は既存のキャッシュレス決済の利用者等、ハードルが低い人たちに広まるにとどまり、各種の利用者還元キャンペーンも短期的にはその需要を先食いするにとどまるのではないか。
 一方、日本における過去の状況、潜在市場の大きさ等を踏まえると、長期的には異なる風景が拡がっているものと感じる。図3など各種アンケート結果を見ても、40代50代でもキャッシュレス決済を志向する傾向が見られ*9、10年20年先の果実を想定すると、今のうちに市場シェアを確立しておくのは、各決済関連の企業にとっては意義の高いものであろう。

図3.キャッシュレスの地域・年齢別利用比率

【脚注】
*1:一般に言及されることの多い値。但し、日経記事( https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43628740R10C19A4EE9000/)にあるように、キャッシュレス推進のため、3.25%の料率上限を維持するなどの記事もある。
*2:LINEプレスリリース(2018.6.28)より( https://linecorp.com/ja/pr/news/ja/2018/2244/a>)
PayPay HPより(
https://paypay.ne.jp/store/cost/
*3:第2弾100億円キャンペーン( https://paypay.ne.jp/promo/10billion-campaign/
*4:平成30(2018)年度国民経済計算 年次推計(内閣府)( https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kakuhou/gaiyou/pdf/point_20191209.pdf)より
*5:日本のクレジット統計(2018年度版)(一般社団法人日本クレジット協会)( https://www.j-credit.or.jp/download/news20190619c1.pdf)より
*6:pringというサービスでは0.95%の手数料率で個人間送金ができる( https://nippon-tablet.com/function/qr-code/pringなど)。このため、いずれはこの程度の手数料率に落ち着くと想定。またalipay、wechatpayなどは代理店によっても異なるが、1%程度になっている模様。
*7:PRESIDENT ONLINE「なぜ日本は"現金大好き社会"になったのか」( https://president.jp/articles/-/28480
*8:筆者の祖父とその友人たちにヒアリングした内容。凡そ1970年代まで、そのようなエコシステムがローカルには存在していたようである。
*9:例えば、日本銀行決済レポート( https://www.boj.or.jp/research/brp/psr/data/psrb180928a.pdf)、楽天リサーチ( https://insight.rakuten.co.jp/report/20190627/)などを参照。若年層、現役社会人世代はキャッシュレス決済へのハードルがそこまで高くないものと推定される。

著者紹介
山下 喬昭Takaaki YAMASHITA

学生時代は材料学を専攻し、原子層薄膜などの先端材料に関する研究を行う。素材・化学メーカーでの研究開発職を経て、現職。
旅と、その土地の美味しいものを食べることがライフワーク。