クロアチアの風に吹かれて –紛争の記憶、ゆるき国民性、そして熱狂

2020年1月29日 肥田 純

 2019年に、久しぶりにまとまった休暇を得ることができましたので、重い腰を上げて、2011年以来8年ぶりに東ヨーロッパのクロアチア共和国(クロアチア)を訪れました。月曜日出国の翌週月曜日帰国という旅程の都合上、ドゥブロブニク、ザグレブ、プリトヴィツェ湖群国立公園と三ヶ所を巡るにとどまりましたが、1991年のユーゴスラビア社会主義連邦共和国(旧ユーゴスラビア)からの独立と国内の紛争を経て、短期間で観光立国を成し遂げたクロアチアだからこその示唆に富んだ時間となりました。

 クロアチアは1991年の独立後、1992年に国際連合、2013年に欧州連合に加盟した若い国家です。九州の1.5倍に相当する56,594km2の国土に407.6万人の人々が暮らしていますが、2000年以降の観光振興策が実を結び、現在では人口の4倍以上の観光客が世界中から訪れるようになっています。観光のベストシーズンは6月から9月の夏場といわれており、私がクロアチアを訪れたのも9月のことです。
成田空港から月曜日の夜便で日本を発ち、開港して間もないイスタンブール空港で乗り継いで、まずはドゥブロブニク空港へ。空港からシャトルバスに揺られること30分程で、「アドリア海の真珠」とも謳われるドゥブロブニクの旧市街に到着します。海岸沿いのホテルにチェックインすると、早速旧市街に向かいます。アドリア海に突き出すようにして堅牢な城壁に囲まれた旧市街は、その全体が世界遺産登録されており、アドリア海の透き通った青さに映える、赤の屋根瓦で統一された石造りの街並みがおとぎ話のように美しいのですが、よくよく観察してみると、赤い屋根瓦には比較的真新しいものと年季の入ったものの二種類があることに気付かされます。近隣のスルジ山の頂上までロープウェイで登り、そこから旧市街を一望してみると、屋根瓦の差異がよりはっきりと視認できます。ドゥブロブニクの旧市街も1991年から1992年にかけてクロアチア紛争の戦闘の最前線のひとつになっていたということは事前に把握していましたが、施工の年代が異なるであろう屋根瓦の混在する風景を眺めながら、約30年前の痛ましい紛争に思いをはせずにはいられませんでした。現在ではヨーロッパ屈指のリゾート地として再生を果たしているドゥブロブニクですが、独立を勝ち取るまでの紛争の傷跡が完全に風化することはないのかも知れません。


 思い返してみれば、初めてドゥブロブニクを訪れた2011年の時点では、スルジ山の山頂に続くロープウェイも再建されたばかりで、手元の2010年発行のガイドブック上では工事中と記されていたことから、現地に到着して非常に驚いたことを記憶しています。そのスルジ山の山頂は旧市街を一望できる展望スポットとして有名なのですが、ロープウェイ乗り場の建屋から少し離れたところには、日本のガイドブックでもあまり取り上げられることのない独立戦争博物館があります。クロアチア紛争時代の要塞跡をそのまま使用していることから、壁や床には無数の弾痕が残っており、実際に使用された武器、弾薬に加えて、当時の惨状を解説するパネル等が展示されています。旧ユーゴスラビアの一員としての負の歴史を伝える展示内容に、館内の人々は言葉少なに見入っている様子でしたが、旧市街では欧米人に混ざってチラホラ見かけた日本、韓国、中国からの観光客の姿はありません。受付のスタッフにも尋ねてみましたが、「アジアからの観光客はほとんど見かけない」という言葉が返ってきました。後日、数年前にツアーでドゥブロブニクを訪れたことがあるという友人にも確認してみましたが、「ツアーの目的地には組み込まれていなかったと思うし、そういう場所があることすら知らなかった」ということでした。「ガイドブックに載っていない」「せっかくリゾート地に来ているのだから」「独立紛争なんて自分には関係ない」など、我々アジア人が独立戦争博物館まで足を延ばさない理由は様々でしょうが、戦争から縁遠い国で暮らしているからこそ、訪れる価値が増す場所であるように思えました。

       

 二日後の木曜日の昼過ぎ、クロアチア代表を引退したばかりのサッカーのマンジュキッチ選手によく似た男性ドライバーのタクシーでドゥブロブニク空港まで引き返すと、そこからクロアチア航空の運航する国内線でザグレブ国際空港へ。クロアチアの首都に位置するザグレブ国際空港は、同国最大の空港とは思えないほどに小綺麗かつ殺風景な印象ですが、その分迷う心配はなさそうです。宿泊施設の集中しているザグレブの中心地までは、シャトルバスとトラムを乗り継いで向かいます。
チェックイン後、翌日訪れる予定でいたプリトヴィツェ湖群国立公園について下調べしていると、この4月から事前予約が必要になったことが判明しました。事前予約は2日前までに済ませる必要があることから、この時点で旅程を急遽変更する羽目になったわけですが、買い替えたばかりのスマートフォンを駆使して、どうにか翌々日午前中の入園チケットと往復のバスを押さえて、事なきを得ました。
やむなく翌日と翌々日の予定を入れ替えて迎えた当日、高速バスに揺られること2時間半、無事にプリトヴィツェ湖群国立公園に到着。復路のバスの時間まで5時間近くありましたが、

・クロアチア(に限った話ではないような気もします)のバスは時刻表通りに来ない
・定刻より遅れて到着する分には待っていれば済む話だが、早く到着した場合も定刻まで待たずに発車してしまう

と聞かされていたので、通常4、5時間かかるといわれている行程を駆け足で巡り、定刻30分前にバス停まで戻ってきたものの……待てども待てどもバスは到着せず、定刻から遅れること1時間半、ようやく姿を見せたバスの車内ではドライバーと乗客が口論を繰り広げており、どうやらこれが大幅な遅延の原因だった様子です。遠く離れた海外でこそ、自然災害などの特殊事情を除いて、定時運行を信条にしている日本の公共交通機関の有難みほど実感するものはありません。

  

 クロアチア最終日は、スーツケースを片手に、ピヴニツァと呼ばれるビアホールを巡りました。クロアチアは一人当たりの年間ビール消費量が世界10位(*2)の80.4リットルという隠れたビール大国で、ピヴニツァでは自家製ビールを安価に楽しむことができます。クロアチアはカトリック国なのですが、ピヴニツァは安息日の日曜日でも昼間から営業しているところが多く、好物に対して熱狂しやすいクロアチア人の国民性を表しているようにも思えます。


 熱狂といえば、忘れてならないのは、2018年にフランスで開催されたサッカーW杯におけるクロアチア代表の準優勝という躍進でしょう。実は今回の旅行前から、現地でクロアチア代表のユニフォームを購入することを目標のひとつに掲げていたのですが、ザグレブのスポーツショップではまったく販売していないことから、不思議に思って、クロアチアサッカー協会の運営するミュージアムで質問したところ、「去年のW杯準優勝を受けて、国内外から注文が殺到してしまって、クロアチア国内では公式ユニフォームが完売状態。数ヶ月後にモデルチェンジも控えているので、再入荷の見通しは立っていない。スーベニアショップのフェイク品ならある」とサッカー協会のお膝元とは思えない回答が返ってきたときは呆気に取られるばかりでしたが、これも熱しやすいクロアチア人の国民性の一端を示しているのかも知れません。
クロアチアから帰国して数ヶ月。昨年を振り返る番組を見ながら思う、「未曽有の台風が続いた我が国が、紛争というピンチをチャンスに変えたクロアチアから学べることは何かないものだろうか」。通勤ラッシュ時、数分の遅延を丁寧に謝罪する社内アナウンスを聞きながら思う、「乗る側も乗せる側も、もっとゆるく構えてみてもいいのではないだろうか」。新国立競技場への不満、マラソンの札幌開催への変更など、2013年の招致決定時に比べると、いまひとつオリンピック開催の盛り上がりに欠ける東京の街を歩きながら思う、「お祭りなんだから楽しめるだけ楽しめばいいじゃないか」。どれも日本人らしいといえば日本人らしいとはいえ、現代社会のあらゆる事象、課題を見聞きするたびに、我々は「国民性」という言葉で一括りにして、思考停止に陥ってしまいがちですが、遠い異国と並べてみるだけで解決の糸口が見えてくることもあるかも知れません。

(*1)クロアチア政府統計局
https://www.dzs.hr/default_e.htm
(*2)キリン「「キリンビール大学」レポート 2018年 世界主要国のビール消費量」2019年12月24日
https://www.kirinholdings.co.jp/news/2019/1224_01.html

著者紹介
グローバルインフォメーションセンター
肥田 純 Hida Jun

座右の銘は「生涯勉強」。流行りに乗って、最近はクラフトビールとスペシャリティコーヒーに夢中。下手の横好きで続けているフットサルのチームメンバーを募集中。