いろいろな現役期間
「ジィージリジリジリー」「ミーンミンミンミンミン」
あちらこちらの木々からセミの鳴き声が聞こえる中、東京オリンピックが1年遅れで開催されました。コロナ禍での開催の是非については賛否両論あったかもしれませんが、選手達の真剣勝負を観て心が動かされたこと自体は決して否定され得ないものだと思います。
多くの日本人メダリストが誕生した今回のオリンピックですが、個人的に最も印象的だったのは、水谷隼選手と伊藤美誠選手が日本チームとして戦った卓球の混合ダブルスです。決勝では強豪中国を破り、見事金メダルを獲得しました。水谷選手は日本の男子卓球界を長年牽引してきた選手ですが、今回のオリンピックでの試合後に現役引退の意向を示しています。
どの競技の選手もいつか必ず訪れる現役引退。水谷選手はその理由として目の不調を挙げていますが、多くの選手は果たしてどのような理由で現役引退を決意するのでしょうか。笹川スポーツ財団の報告¹⁾によると、夏季オリンピックに出場した選手の現役引退理由として多い順に、「仕事を優先するため」(46.0%)、「年齢による体力的な問題」(45.5%)、「自己の成績に満足したため」(18.1%)、「けが」(14.1%)、「競技を楽しめなくなったため」(8.8%)、「金銭的な問題」(6.2%)となっており、各選手が様々な理由で現役の終わりを決意していることが伺えます。「仕事を優先するため」という理由が最も多いのは少し意外でしたが、オリンピックにはアマチュア選手が相当数参加することを考えると納得できます。
現役と引退に関し、ここで少し特許の話を。
特許権は、創作した発明を独占的又は排他的に一定期間支配することができる権利です。しかしながら、創作した発明を特許庁に届け出たところですぐに権利となるわけではありません。その発明が権利になるためには、発明の届け出(出願)以後3年以内に審査の申し出(審査請求)を行い、その審査に合格しなければなりません。
従って、出願を行ってから特許権が成立するまでには一定の期間を要します。2020年度の平均では、権利化までに要する期間は審査請求から15.0か月となっています²⁾。このため、出願してから権利化されるまでには凡そ1年数か月~4年数か月かかることになります。当然、その間に審査「不合格」となり権利化できないものもあります。
一方、特許権が消滅するタイミングはというと、出願日から20年までの期間を限度³⁾として、基本的には特許権を持つ者が様々な理由で自由に決めることができます。現状では、特許権の現存率(特許権の登録件数に対する現存件数の割合)は下図⁴⁾のように、特許権の設定登録日から時間が経つにつれて低下していきます。
特許権が権利として生きているものを現役特許と呼ぶとすれば、設定登録日から時間が経つほど現役特許の割合は小さくなると共に、権利期間が終了した“現役引退特許”の割合は逆に増えていきます。この“引退”理由としては、主に下記が考えられます。
・特許権に係る発明を使わなくなった、或いはその発明に関係する事業分野から撤退した
・特許権を他社にライセンスして対価を得る等の活用目途が無くなった
・競合他社がその特許権を嫌がる可能性(競合他社への牽制力)が無くなった
このように、特許権を現役特許として維持する期間、(言わば特許権の現役期間)を決定するためには、需要状況や自社及び他社の事業状況を踏まえて特許権の活用目途を検討する必要があります。
昨今、様々な分野において製造・販売のグローバル化や高度化が進み企業間競争が激しくなり、AI等の活用で製品開発期間も一層短縮化する、と予想されます。そうすると、ビジネスに必要な技術は恐らく現在よりもハイペースで入れ替わることになり、特許権を取得した発明の多くが活用されないといった状況も起こり得ます。また前述の通り、出願から特許権を取得するまでには何年も要するため、権利化されたときには使いみちのないものになってしまう場合もあり得ます。特許権を権利として維持し続けるためには、相当額の維持費用⁵⁾を支払い続ける必要があるため、活用目途が無い特許権は維持費用がかさむだけのお荷物に他なりません。このため、特許権の“現役期間”をどう設定するかの見極めが、今後はより一層重要になると思われます。
さて、東京オリンピックが閉幕して本稿を書いている最中も、外からはセミの鳴き声が聞こえます。セミは、幼虫の期間が数年にも及ぶ一方で、成虫として生きられる期間は1週間~1か月程度と言われています。成虫の期間を“現役期間”とするならば、セミの現役期間はなんと短く儚いものでしょう。そして短い現役期間を物ともせず、その鳴き声はなんと力強いものでしょう。
2021年夏、いろいろな現役期間の中にある、いろいろな一生懸命に、心を打たれました。
<注記>
¹⁾ 公益財団法人笹川スポーツ財団(2015年)、2014年度調査報告書 オリンピアンのキャリアに関する実態調査、32頁
²⁾ 特許庁(2021年)、特許行政年次報告書2021年版、3頁
³⁾ 製造販売等を行うために薬機法または農薬取締法における登録が必要となる分野においては、特許発明の実施をすることができなかった期間を限度として最長5年間の権利期間延長が認められます(特許法67条4項)
⁴⁾ 特許庁(2021年)、特許行政年次報告書2021年版、4頁
⁵⁾ 現行法においては、平成16年(2004年)4月1日以降に審査請求をした出願1件について、第1年から第3年までは毎年 2,100円+(請求項の数×200円)、第4年から第6年までは毎年 6,400円+(請求項の数×500円)、第7年から第9年までは毎年 19,300円+(請求項の数×1,500円)、第10年から第25年までは毎年 55,400円+(請求項の数×4,300円)の費用が必要です(第21年から第25年については、薬機法または農薬取締法の関連分野において延長登録の出願があった場合のみ)。このように、権利を長く維持するほど累積費用がかさむばかりでなく、毎年支払う金額も増大します。このことは、諸外国においても同様で、増大率は国毎に異なります。なお、日本における上記維持費用は2022年度から引き上げられることが決定しています。