1円で買ってはいけない、という話

2021年7月28日 八木 裕

【原油1バレル70ドル時代】
 このコラムを書いているのは2021年6月。電気料金や食品類などの生活必需品が、この7月より値上げされる見通しと報道されています。値上げの理由は、これらの原材料となる原油価格が上昇し続けているためだそうです。


 原油価格の代表的な指標の一つは、ニューヨーク市場で取引される「WTI原油先物」ですが、チャート形状はこの1年間で右肩上がりとなっています。1バレル(※1)70ドル台で取引がされていますが、過去からの水準で見ても高値圏であると言えます。



出所:Bloomberg金融端末より筆者作成

 また、原油価格の影響を最も受けるであろうガソリン価格も、足元ではじわじわと上昇しています。



出所:資源エネルギー庁「石油製品価格調査」より筆者作成

 
 我々の生活に欠かせない原油ですが、ほんの1年あまり前、先物市場において「マイナス価格」という驚くべき価格を付けました。この出来事をうっすらと覚えている人もいるかと思います。新型コロナウイルス感染症の流行により世界の経済活動が停滞し、外出自粛や海外でのロックダウンが叫ばれる中での出来事でした。


【先物取引とは】
 マイナス価格を付けた先物について少し解説します。先物取引は、金融派生商品(デリバティブ)の1形態であり、通常、特定の日における商品の売買を事前に決められた価格で行う取引のことです。原油以外にも金やニッケル、アルミニウム、鉄鉱石など、様々なコモディティで先物取引が行われています。資源以外でも、大豆やとうもろこし、コーヒー豆などの農作物、果ては日経平均株価や国債などの指数を金融商品として取引することもできます。株価指数などを先物取引する場合というのは、金融商品保有のヘッジ手段(価格変動リスクの回避手段)として取引されることもあります。

 先物取引の歴史は非常に古く、日本では江戸時代、大坂の堂島でコメの先物取引が行われていました。古くから日本ではコメの生産高を地域の収益力のように扱い、〇〇藩は何万石、などと表現してきました。いわば通貨と同じような位置づけですが、当然、通貨価値には安定が求められます。通常コメは相対で取引されていましたが、堂島のコメ取引所の設置により取引の円滑化や迅速化がなされる中で、収穫前のコメの取引を約束する形態が先物取引として発達しました。

 海外にも目を向けると、近世ヨーロッパでのチューリップの先物取引が有名です。元はチューリップの美しさが人々の人気となったのが始まりです。人気が加速し、チューリップ価格が高騰していく中で、花が咲く前の球根の取引、ついには翌年咲く予定の花を予約する取引がなされるようになります。これが先物取引の元になったと言われています。この時代のチューリップを巡る市場は異様なまでの熱狂を見せ、ある意味バブル化していきますが、やがてそのバブルは崩壊します。チューリップバブルについては今回詳しく紹介はしませんが、興味のある方は調べてみてください。


【原油マイナス価格はなぜ起こったのか】
 さて、話を原油に戻します。
 先物価格がマイナス値を付けるというのは、「特定の日に原油を受け取ることを約束した人がお金を払ってでも誰かに原油の現物を引き取って欲しい」ということです。当然ながら過去、そのような事態はありませんでした。

 昨年起きた「マイナス価格事件」の原因ですが、原油生産というのは簡単に停止することはできず、コロナの流行に拘らず生産が行われていました。しかし、生産された原油が消費されないことから貯蔵タンクが満タンとなります。地上のタンクが一杯であれば、次は海上で空きがあるタンカーを手配することになりますが、いずれにしろ原油を自然の中に垂れ流して捨てることもできず、タンカー費用という多額の保管コストがかかります。そのため、現物の引き渡し月が近くなっても売却できない、引き取り手の現れない原油先物を買い建てている主体がパニックになり、お金を払ってでも処分したいと考えた結果でした。

 なお、マイナス値を付けたのは2021年4月受渡し分だけで、翌5月受渡し分からは正常化して、プラス価格で取引されています。原油実物の需給に大きなミスマッチが起きたのはほんの一瞬のことでした。


【名古屋テレビ塔事件】
 この話を考えているうちに、2003年に名古屋で起きた出来事を思い出しました。
 テレビ塔の屋上展望台より地上に向けて1ドル紙幣を大量にばらまいた人物がいました。個人情報保護のため氏名は公表されず、20代男性、職業は元銀行員とだけ報道されました。警察も出動する事態となりましたが、この人物の供述は、「お金が余って仕方なかったので、社会に還元するためにドル紙幣をばらまいた。お金はとある銀行の株を1円で買い付け、高値で売却したことで手に入れた」ということでした。

 この人物が買い付けたという銀行は当時、業績が著しく悪化し、経営が危ういとの噂で株価が1円まで値下がりしましたが、傘下の子会社(リース会社や個人向けローン会社)は黒字経営であり価値があるとの思惑で、その後株価は数十円まで値上がりしました。この事件の当事者は底値で株を購入し、上昇した場面で売り抜けたことで、元手の数十倍の利益を手にしたようです。

 株式とは会社が破綻すれば価値は0となりますが、絶対にマイナス価格にはなりませんし、会社法でもそのように保証されています(※2)。債券も、発行体である政府や企業が破綻すれば無価値になることはあり得ますが、マイナス値にはなりません。仮に破綻したとしても残余財産の分配請求権があり、全くの無価値になるのかと言えば必ずしもそうではないと考えられます。

 大規模な資金集約により多くの富を生む、そのための手段として資金の出し手のリスクを限定することで、経済に必要な資金を配分させる。そんな大航海時代以降の資本主義社会における常識がいわば「投融資における常識」であるわけです。そして、1円という極限の価格で金融商品を購入することで、大きな利益を手にしたのが前述の名古屋テレビ塔事件の男性です。

 しかし、もし先物市場において、価格はゼロが下限だという思い込みをもとに彼が1円で原油先物を購入していたとしたら、巨額の損失を被っていたのかもしれません。人間の思い込みがいかに危険であるかを如実に示す出来事だったのではないでしょうか。


【バブルとリスク】
 価格の下限の話をしました。上限の話もしたいと思います。

 今年2月、日経平均株価は30年ぶりとなる3万円を付けました。お世辞にも今は好景気とは言えず、コロナからの復興途上でまだまだ景気の良さを実感する場面は少ないのが現状ですが、前回日経平均が3万円を超えていた30年前、1988年は日本中が好景気に沸いた時代でした。この当時を知る人から話を聞くと、景気が良く、物は作れば作るほど売れ、高いものほど売れ行きがいい、という今では信じられない時代でした。また、企業勤めの人には、交際費や営業費を湯水のように使えた時代でした。市中の状況が当時とは大きく異なる中、今起きている株高現象が実体のないバブルであるかどうかは、数年後になって振り返ってみないとわかりません。

 一般的なバブル発生のメカニズム、というと既に新聞や各種媒体でも解説されていますが、中央銀行による金融緩和が大きく影響してきます。金融緩和策、つまり金利の引き下げや通貨の供給増で、市場にはマネーが溢れていきます。ここで新たに供給されたマネーが事業投資に回ればいいのですが、実際には行き場のない資金として金融商品等の投資先を探しているような状態です。投資対象は金融商品に限らず、土地、仮想通貨、絵画などの芸術品、果ては年代物の高級なウイスキーやワインなども投機マネーの流入先になっています。

 例えば昨今人気となっている仮想通貨、価格の高騰はすさまじいものがありますが、果たしてこれは自然なことなのでしょうか?先に述べた原油は実需がありますが、果たして仮想通貨に実需はあるのでしょうか?もともとは、外貨送金には多額の手数料がかかるが、仮想通貨ならそのハードルが下がると言われていました。これは確かに便利なことですが、本当に外貨送金の代替手段として今現在利用されているのでしょうか?また、市場や業者間で取引されており、一定のニーズがあるように見えますが、では今付けている価格の根拠は何でしょうか?

 この問いに対する答えはありませんが、結局のところ、こういった価格変動の大きい、投機的な性質を持つ商品というのは、資金的裏付けなどではなく人間心理そのものを取引しているのだと言えます。


【まとめ:自分中心に売り買いするというリスク】

 こうして価格の下限と上限について、またその価格がなぜ決まるのか、についてあれこれと思いを致してみると、自分の感覚、周囲の評判、風潮などに左右されずに判断できること、確実なこと、というのは世の中には数多くないのかもしれません。しかし、本当に安全なのか、根拠や裏付けがあるのか、さらにはそれが自分自身の単なる思い込みでないかなど、深く考えることで相対的にリスクを減らしていくことは可能と感じます。

 逆に何が根拠なのかわからない状態で、周囲の風潮や自分自身の思い込みを元に取引することはリスクが高い行動と言えます。何となく今の値段が安いと思ったから買う、という話をよく聞きます。しかし、安いと思っているのは自分だけかもしれません。前述の名古屋テレビ塔事件の男性も、投資した銀行には黒字の子会社があり、リスクが低いと誰よりも早く気づいていたからこそ、巨額の利益を得ることができたのかもしれません。

 1円で買ってはいけない場面も、あるわけです。「世間は自分中心に値付けをしてくれない」、ということを忘れてはいけません。

注釈
※1 原油の取引単位であり、1バレル=約159リットル
※2 株式会社の場合、会社法104条により、株主は出資額(投資額)以外には責任(損失)を負わない旨の規定が置かれている

著者紹介
八木 裕 Yagi Yutaka

金融機関の経理部門在職中にリーマンブラザーズ破たんを目の当たりにし、会社の寿命は永遠ではないことを悟る。
高品質な人材の育成と供給を目標として奔走中。