“イノベーション”と材料研究

2019年3月1日 山下 喬昭

 「イノベーション(技術革新)」という言葉を目にすると、皆さんは何を想像するだろうか。自動車や飛行機・新幹線、半導体デバイスや通信機器、その根底を支えるアルゴリズムなど、イノベーションという言葉の裾野は本当に広い。

 これまでのイノベーションの中心・主役は、その乗り物やデバイスそのもの等ユーザーが直接利用する製品だと思いがちだが、その土台部分は「新材料・素材開発」が担っていたといって差し支えないと考えている。一例を挙げると、車や飛行機への超合金や軽量材料(ジュラルミン・複合材料)の適用(*1)によって燃費が大幅に向上した。(*2)また、半導体材料の開発によるデバイスの微細化(*3)もCPU能力を大きく向上させた。他にも、新材料・素材のイノベーションというと、超伝導体の発見(*4)、原子層の薄膜のデバイス適用(*5)等々、既存の機器・デバイスの能力を向上させるものから、全く新しい機能を付与するものまで、その例は枚挙にいとまがない。

 新素材の開発を担ったのは、科学者の不撓不屈たる姿勢と多くの時間であると感じている。例えば、超伝導物質はその最たるものであろう。私は大学時代、材料系の専攻であった。その専攻の実習に、超伝導物質の作製実験があった。イットリウム、バリウム、銅といった金属、物質をある特定量だけ秤量し、薬さじで潰し、混合して(均一に材料が砕かれたり混ざったりしていないと超伝導性を発現しない)特定時間焼く。まるで錬金術のような手順と手間を経て、ようやく焼結体が手に入る。そして、焼結体を冷却し磁石を載せると、磁石がマイスナー効果で浮揚するという、ある種の超伝導現象を目の当たりにできる。

 それだけといえばそれだけなのだが、初めてこの物質を作製したとき、何とも言えない気分になった。混錬する材料種が多いだけでも感動ものだが、何より選択できる材料の多さで以て、この複雑な手順を見つけるのには想像を絶する時間が費やされたことと思う。現在でも、超伝導性を発現するメカニズムには、分からないことが多く、何年かに一度、新規の元素系の超伝導物質の発見と新規メカニズムの解明が続いている。

 この新材料・素材開発に一石を投じようとする技術が、マテリアルズ・インフォマティクスと呼ばれる、計算機科学を用いたシステム(*6)である。例えば、材料が有する電気特性などの物理的特性を入力して計算を行うと、希望する特性をもった材料組成・構造をシミュレートし、提案する。これまでの試行錯誤をベースとした材料開発と比べると、何とも時間が短縮され、楽になったように感じる。

 少し具体的な数字を出すと、1913年から収集されている世界最大の無機結晶構造データベース(ICSD)でも完全に構造が同定されているものは20万物質ほどである(*7)。一方で、マテリアルズ・インフォマティクスを用いて、シミュレートされうる無機物質は使用元素(約80種)や組成(三元系、16通りの組成)を一般的な範囲に限っても、およそ800万物質とかなり多い。

 プロセス上、簡単に得られる材料構造であればよいが、このように試す数が多いと、実際の材料生成自体が難しい、時間がかかるなど、プロセスコストがかかりすぎる場合に、次善の材料組成を探す必要が出てくる。次善の材料組成が見つからず、プロセスも決まらないと、どんな素晴らしい材料も工業化・製品化は遠ざかり、材料イノベーションが社会へ与えるインパクトがなくなってしまう。

 このように考えると、これまで膨大に時間がかかっていた材料発見が容易となる分、それをどのように実現するか、どの技術を活用するか、どういった順でプロセスを構築するか、どのプロセスを実施することで材料構造にどういった変調を起こすかといった「プロセスの基礎的・体系的研究」が研究開発活動の中での比重が大きく上がるように思われる。最初に戻って、イノベーションを社会にもたらすには、工業・製品化が必須である。次世代の材料によるイノベーションは、プロセスの研究をどう効率的に実行できるかにかかっているように感じる。イノベーションに必要な材料研究には、材料研究の進め方そのものにイノベーションが必要だ、ということである。


引用文献
(*1)軽金属 第62巻 第6号 (2012)など。新規材料の適用範囲拡大により、航続距離や燃費が大きく向上した。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jilm/62/6/62_249/_pdf
(*2)自動車の軽量化と燃費https://pub.nikkan.co.jp/uploads/book/pdf_file553f1bb4cd863.pdf など
(*3)ムーアの法則https://www.intel.co.jp/content/dam/www/public/ijkk/jp/ja/documents/presentation/Moore_Fact-sheet_JP.pdf など
(*4) 超伝導体の歴史 http://www.ecei.tohoku.ac.jp/hamajima/superconductor1.html など
(*5)グラフェン系物質のデバイス応用に向けた展望と問題 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jvsj2/57/12/57_14-RV-016/_pdf
(*6)マテリアルズ・インフォマティクスとは何か https://www.nims.go.jp/nimsforum/files/03_okada.pdf
(*7) ICSD HPより http://www2.fiz-karlsruhe.de/icsd_home.html


著者紹介
山下 喬昭Takaaki YAMASHITA

学生時代は材料学を専攻し、原子層薄膜などの先端材料に関する研究を行う。素材・化学メーカーでの研究開発職を経て、現職。
旅と、その土地の美味しいものを食べることがライフワーク。