過去の分析は未来を見通すための最適手段である

~自身の物理学を学んできた足跡から考えたこと~

2017年6月30日 酒井 良介

 しばらく前から高等学校教育における物理学の履修率低下が懸念されている。私が大学入学した2001年に、ジャーナリストの立花隆氏が「東大生はバカになったか」という刺激的なタイトルの本を出版し、高等学校課程における物理履修率の低下に警鐘を鳴らしていたことを記憶している。
 筆者は、かつて繁栄していた日本の製造業が、このままでは「ヤバい」と常々感じているが、物理履修低下問題が昨今の製造業における国際競争力低下要因の一旦を担っているような気がする。
 また、理学部物理学科卒業で素粒子宇宙物理学専攻に青春の一時期を捧げた筆者にとっては、物理の面白さ-自然法則の奥深さや神秘性-を共有できる人が少ないというのはとても残念であるし、世界的にも唯一の原爆被爆国であることや直近の原発問題を鑑みると、今でも多くの人が物理学を学ぶ社会的意義があるように思われる。

 最近の状況を調べてみると、残念ながらあまり好転していないようである。
 高校物理の中でも課目が分かれており、時代によって課目内容の変遷があるが、本稿では、「物理履修者」を「ある程度深いレベルまで学ぶ、旧課程における物理Ⅱまで履修した者」を指すこととする。(新課程においては「物理基礎」のみを学んだ者は含まない)
 参考資料[1]及び[2]を基に作成した「高校における物理の履修率の推移」グラフを以下に示す。そもそも1980年頃に急激に履修率が低下して以降、10%-30%程度の低推移であり、物理履修率低下問題は昨今始まった問題ではないようだ。
 なお、筆者が高校生だった1998年~2000年が最も履修率が低い時期となっている。

 高校教育における物理の履修率が低い理由は「難しい」や「センター試験で不利」などの理由を聞いたことがある。特に前者の「難しい」については、自身の体験としても実感をもって納得できる理由である。化学、生物、地学という他の理科の科目が具体的な「モノ」を扱うのに比べて、物理は力、運動量、エネルギー、熱、波などの抽象的な対象を扱うため、他の科目と比較して分かり難いと感じたことが幾度もあったように記憶している。
 また、身近な自然現象やテクノロジーとのつながりへの言及も少ないため、興味も持ちにくいのではないか。教科書に「大きさを無視できる質点の射方投射の軌跡」は出てきても、「海の潮汐現象」、「青空の原因」、「通信技術」などへの言及は少ないのは事実ではないだろうか。

 一先ず、高校時代にある程度深くまで物理を学ぶ選択をした、物理系学科に進む可能性のある「20%程度の生徒(高校生)」に対して、筆者は更に社会で役立つ知恵を身に着けるため、大学入学以降は「物理学史―特に理論形成過程―」も併せて学ぶべきだ、と訴えたい。理由は、完成された理論(教科書の内容)を無批判に学ぶことで「物理が分かった気」になることが危険であると感じるからだ。

 筆者の経験上、大学の物理教科書は「目的・背景が不明確」な記述が多く、「何のために昔の人はそのようなこと(理論)を考えたのか」がさっぱり分からないのである。物理系学科に進んだ方は、試しに自身が現在学んでいる理論が「何のために~」と考えてみてほしい。理論形成過程への目的や背景に対して疑問をもった時に、多くの標準的な教科書にはその答えはなく、単に「理論のみ」が載っていることに気付かされる。

 これらの疑問に応えてくれるのが「物理学史」という分野である。物理学史を学ぶと、その局面毎に問題となった内容や、その後の研究の方向性の変化等の「過程」が分かるため、目的や背景を理解することができる。
社会に出た後、特定の業種に就かない限り大学で学んだ理論を使うことは滅多にないが、「目的や背景」を理解しながら学ぶ姿勢は業務遂行に直に役立つものである。

 他方、高校時代にそれほど強く物理学に興味を示さなかった80%の者にとっても、分野問わず過去の「過程」を学ぶことは御利益があると考える。これまで、筆者は「物理学」という分野に絞って記載してきたが、国家や企業などの「組織」や「人」についても「できあがりの姿」ばかり見るのではなく、「形成過程」を分析するべきである。「過去」に起きた出来事を学ぶことは、その分野における様々な「制約条件」を学ぶことであり、そのことは「現在」を分析する視点を与え、更に筋良く「未来」を考えることにつながるのではないかと思うからだ。

 特に「人」については、過去の分析により何を真似することができるか(できないか)という制約条件を明確にしたうえで、自身の特性を鑑みて吸収すべきものを選ぶべきである。
 皆さんの身近にいる「できる人」もはじめから「できる人」であったわけではなく、何らかの過程を経て「できる人」へ変身している。その過程で得られた経験や知見の中には一身専属的なものもあり、真似(横展開)できないものも多く含まれるため、「制約条件」を把握することが自身の成長の鍵となるのではないかと考える。
 残念ながら未来の可能性は決して無限ではない。限られた能力や時間の中で自身の未来を最適なものとするためにも物理学という分野を軸に過去を学びながら模索を続けている。(了)                                    


参考資料

[1] 「提言 これからの高校理科教育のあり方」平成28年(2016年)2月8日 日本学術会議 科学者委員会・科学と社会委員会合同広報・科学力増進分科会

[2] 東京工芸大学工学部紀要Vol.38 No1(2015) 江崎ひろみ 「物理教育の現状と問題点」

著者紹介
酒井 良介Ryosuke SAKAI

理学部物理学科卒。素粒子宇宙物理学専攻。
学部4年生で光合成の研究室に入るものの、サンプルのバクテリアを全滅させかけ、生き物以外を研究対象とすることを決意。
修士時代は国際リニアコライダー計画に魅かれ「スピン偏極電子ビーム生成」に情熱を捧げる。
大学院修士課程修了後は素材メーカへ就職し、製造・技術開発の技術者を経て現職。
苦手分野は家事全般。

2019年 弁理士登録。