恋と花粉管と投資戦略

~成果を出すなら急がば回れ~

2022年10月20日 熊谷 宜子



「急がば回れ」

皆さんは日常生活やビジネスの場面で、このことわざからどのようなシーンを思い浮かべるだろうか?
本コラムにおいては、ある植物の花粉管が見せる事象が実は人間社会においても非常に有効なものであることについて論じてみようと思う。


■花粉管の戦略モデル
はじめに、ある植物の花粉管が見せる興味深い事象について説明しよう。
さて、皆さんは植物の受精がどのような仕組みで行われるかご存じだろうか?
以下、図を用いて簡単に説明しよう。




図1:被子植物のめしべの構造と受精の様子
※出典:筆者作成([1]参照)



図1に示すように、めしべの先端部分である柱頭についた花粉は、胚珠(受精により種子になる器官)めがけて花粉管を伸ばす。そして胚珠に到達した花粉管内の精細胞は胚珠内の卵細胞と受精し、種子が形成される。
この際、花粉たちは他の花粉に競り勝つべく急いで花粉管を伸ばすことが得策になるであろうことは皆さんもイメージいただけるだろうか。
実際、多くの植物の花粉管は互いに競争し、短い時間で胚珠へと到達する。[2]

しかしそんな中、ブナの仲間やヤマモモをはじめとする一部の植物の花粉管は非常に興味深い挙動を示す。なんとこれらの植物の花粉管は胚珠に向かう際、敢えて蛇行や停留をして時間稼ぎをするのだ。[1]
これらの花粉管がどの程度の時間稼ぎをするかというと、多くの植物は花粉管を伸ばし始めて数時間~48時間で受精に至るのに対し[2] [3]、これらの植物は数週間以上と非常に長い時間をかける。[1] [4]
この期間たるや桁違いであるが、いったいこの時間稼ぎには何の意味があるのだろうか。
以下でこれらの植物の興味深い時間稼ぎについてもう少し説明するとともに、その意味について考察してみよう。



図2:停留する花粉管イメージ
※出典:筆者作成([1]参照)
※実際のブナとヤマモモでは胚珠の形態が異なるが、
本コラムでは共通のイメージ図を用いて説明する



図2に示すようにこれらの植物、最初の段階では通常の植物同様、めしべについた花粉は胚珠に向け花粉管を伸ばしていく。ここまでは一見するとほかの植物と同じである。
ところが、実はこの時点ですでにいくつか異なる点がある。
それは、花粉がめしべにつく時点では胚珠がまだ未熟な状態であること、そして、伸びていった花粉管がなぜか途中で停留や蛇行などにより時間稼ぎをするということだ。



図3:伸展と停留を繰り返す花粉管イメージ
※出典:筆者作成([1]参照)


その後、図3に示すように花粉管達はしばらく停留しては進み、少し進んでは停留し…ということを繰り返す。胚珠に対し自分の存在をアピールしつつも、あたかも時間稼ぎをするかのように。
一般的に考えれば、花粉管は他の花粉管と競争状態にあるのだから急いで伸長するのがベストな戦略に思われる。しかし、なぜこれらの植物は敢えて時間稼ぎという戦略をとるのだろうか。

実はこれらの植物、花粉管は伸長と停滞を繰り返す過程において複数の胚珠それぞれの成熟具合を感知し、ベストな状態の胚珠を選んで受精している。 [1] [4]
つまり花粉管は敢えて「急がば回れ」という戦略をとることで、自身の遺伝子を確実に残してくれるであろう、強い胚珠を選んでいるのだ。

さてこの事象、人間社会における個人間の人間関係やビジネスシーンにおいてどのような戦略として浸透しているのか、以下の事例をもとに紹介してみよう。


■人間関係(恋愛戦略)
恋愛市場や婚活市場において、精神的・経済的・社会的に成熟した相手は個体数が少なく獲得競争も激しいため、確実な獲得が困難である。
一方、未熟な状態の相手に対し交際や結婚をちらつかせて成長を促すことができれば、相手が成長したタイミングで獲得することにより、自身の将来的な利益を向上可能となる。なお、ここで述べる「利益」とは例えば、相手の収入や貯蓄額の向上、生活能力の向上、精神的な成熟など、個々人が重要視する項目であればどのようなものであってもよい。
このように、多数の競争相手とともに成熟した相手への獲得競争へ身を投じるのではなく、ブナやヤマモモの花粉管のように未成熟な相手に狙いを定めつつベストな状態に成長したタイミングで獲得することが可能な場合、「急がば回れ」戦略は非常に有効な戦略になると言えよう。


■ビジネスシーン(ファンドにおける投資戦略)
続いては、投資ファンドの活動で見られる類似の戦略モデルを紹介しよう。
投資ファンドは企業へ出資するとともに、その企業を成長させることにより利益を創出させている。[5] [6]
このため成長性が見込まれる企業があれば多くの投資ファンドが競って出資する。たとえ企業の持つ価値が周知で競争相手が多数いたとしても、企業成長により結果的に利益を得られるためである。
しかしそのような投資は競争相手が多くなるぶん、胚珠に向かってせめぎあいながら花粉管を伸ばす多数の花粉たち同様、利益の期待値は低くなってしまう。

一方、投資ファンドの投資戦略の一つに「マッチング」というものがある。
これは未知の価値を有する企業に対し、図4に示すように敢えて出資決定を遅らせるという戦略だ。




図4:企業成長と出資者出現タイミングの相関図
※出典:筆者作成



この「マッチング」においては、企業が十分に成長し、かつ他の出資者(競争者)が出現するギリギリのタイミングまで出資決定がされない。
これにより、投資ファンドに焦らされた企業はなんとしてでも出資してもらえるよう、時間稼ぎをされている間、出資されるにふさわしい企業となるべく尽力する。
停留した花粉管がこちらを見定めているのを感じて懸命に自身を成長させる胚珠のように、自社のビジネスモデルをさらに精緻化し、成長戦略の更なるブラッシュアップを図るのである。

投資ファンドはこのように「急がば回れ」戦略を採用することで、出資前に十分な企業成長を促すとともにベストなタイミングで出資を決定することができる。このため、即座に出資をした場合と比べより多くの利益を期待することが可能となる。
もちろん先述した例のように他の投資ファンドとの競争におけるスピードが重要な場合もあるが、投資ファンドが企業の有する未知の価値を見出だすことが可能な場合、ブナやヤマモモの花粉管のような「急がば回れ」戦略は非常に有効なものとなるのである。


■まとめ
ヤマモモやブナの仲間など一部の植物は、相手の胚珠が未成熟なうちに受粉を行うが、敢えて時間をかけて成長度合いを見極めることで、ベストな状態の胚珠を選択することができる。
すなわち「急がば回れ」戦略により成熟した胚珠と確実に出会うことで、自身の遺伝子を残せる確率を向上させているのだ。

人間社会における恋愛戦略や投資ファンドにおける投資戦略でも同様に、最初から十分に成熟した相手というのは対象数が少なく、その獲得には激しい競争を伴うため利益の期待値は低くなりがちである。
一方、未熟な状態の相手であっても、その成長状態を見極めることができれば自身の利益を確実に向上させることができる。このため人間社会においても、ヤマモモやブナの花粉管同様に「急がば回れ」戦略が有効なものとして浸透する場面があったのだろう。

だがこの戦略、どのような場面でも必ずしも有効なわけではない点、留意が必要である。
実は上記の花粉管たちは成熟した胚珠を選んではいるものの、胚珠側も成長するなかで複数の花粉管の中からたった1本だけを選択している。同様に人間社会においては自身が相手を成長させているつもりであっても、成長した相手にとって自身が魅力的でなくなった場合は相手から選択すらされなくなってしまうことを忘れてはならない。

相手を選んでいるとき、相手もまたこちらを選んでいるのだ。(了)





※引用
[1]十河 暁子,戸部 博 ブナ目における断続的な花粉管伸長:特にオオバヤシャブシ(カバノキ科ハンノキ属)について Plant Morphology17(1):23-30,2005.
[2]Gao, X., Francis, D., Ormod, J.C. and Bennett, M.D. (1992) An electron microscopic study of douoble fertilization in allohexaploid wheat Triticum aestivum L. Ann. Bot. 70: 561-568
[3]Maheshwari,P.(1950) An introduction to the embryology of angiosperms.McGraw-Hill, New York.
[4]Sogo, A., H. Tobe (2006) Delayed fertilization and pollen-tube growth in pistils of Fagus japonica (Fagaceae) American Journal of Botany 93: 1748-1756
[5]東京大学 近未来金融システム創造プログラムレポート (2020,21)
[6]株式会社産業革新投資機構ニュースリリース(2018,9,25)

著者紹介
知的財産事業部/主幹
熊谷 宜子Takako KUMAGAI

大学院で進化生物学を研究の後、元公社企業での官公庁向け企画業務、特許事務所での権利化業務に携わり、現在は鉄鋼分野の権利化業務を行う技術者。ワークライフバランスを大事にする二児の母でもある。