個別主義に基づく動物の行動、全体主義に基づく特許制度
~盗人の戦略から考える~
動物行動学と特許制度。この全く異なるように見えるもの、その概念において実は大いに共通する部分がある。
動物行動学と特許制度。この全く異なるように見えるもの、その概念において実は大いに共通する部分がある。そのうちの一つ、「盗人(ぬすっと)の戦略」について具体的な事例で説明してみよう。
まず、動物の世界について。
例えば、複数の魚類では「ストリーキング」という戦略が知られている[1]。
通常、魚類は繁殖相手を見つけるのにオス同士がメスを巡って争い、勝ったオスのみが自分の子孫を残す。このため、正攻法で戦うと「力が強く縄張りを持つオス」が子孫を多く残し、逆に「力が弱く縄張りのないオス」は自分の子孫を残せないこととなる。
しかし、このような「力が弱く縄張りのないオス」は、他のオスがメスとペアを組んで繁殖活動を行っているところに一瞬だけ割り込み、子孫を残そうとすることがある。正攻法とはとても言えない、この盗人のような戦略を「ストリーキング」と呼ぶ。
一方、人間の世界について。
「ストリーキング」戦略は、人間の社会活動においても見られることがある。ここでは産業界におけるパテントトロール[2]という、特許の世界における迷惑者の戦略に当てはめて説明してみる。
特許制度とは、独自の技術、商品、販路、設備などを有する企業が、長期間の研究開発や投資などが一定期間の独占利益で報われるように、そして競合他社からタダドリされないように法律で保護する、産業発展のための制度だ。特許を持っている企業は、魚類における「力が強く縄張りを持つオス」と同様の立場にある。
一方、パテントトロールと蔑称される小さい企業や個人たちは、設備も資金も持たず、その特許を自ら事業として実施(製造、販売)することもない。そして、自らは実施しない特許を買い集め、企業相手に特許の侵害訴訟を匂わせて、高額の和解金やライセンス料の獲得活動を行うことで利益を得ている。つまり人間の特許業界におけるパテントトロールは、動物の魚類における「力が弱く縄張りのないオス」と同様の立場であり、彼ら同様、盗人のような戦略によりその生存を可能としている。
この「ストリーキング」的戦略により得られるものは、力を持たない者にとって大きく魅力的である。魚類なら自身の子孫を残すこと、人間なら多額の金を得ること、となる。そしてパテントトロールの「ストリーキング」的戦略は、実際に一時期米国で浸透し、巨額の富を得る者が出てきてしまった。
動物行動学から考察すると、動物は自身の条件や周囲の環境に影響されながら、子孫を最大限残せる選択肢を選んだ者のみが繁殖に成功する。このため、集団内で有利となる戦略は、環境そのものが変わらない限り集団内に浸透する。この「ストリーキング」戦略もまた、安定したものとして浸透してしまうと「環境」そのものが大きく変わらない限り、消滅することはない。
たとえば、少々の環境の変化であれば「力が弱く縄張りのないオス」は、その変化に適応して「ストリーキング」の方法を変化させていく。例えば、オスとして繁殖活動に割り込むだけでなく、自身がメスのフリをして強いオスに近づき「ストリーキング」を行う機会を伺うなど、自身の子孫を残す最適な方法を模索する。
では盗人にとって魅力的な「ストリーキング」的戦略は、人間の産業界でも手を変え品を変え独自の進化を遂げていってしまうのか。
いや、人間の産業界は個々人の発展だけでなく、産業界全体の発展をも求めている。全体の発展が個々の企業に好循環を生むことを人間は知っている。各個体が自身の遺伝子を残すためだけに行動する動物とは異なる。盗人の戦略がただ浸透していくのを許さないのが人間社会。動物の世界との大きな違いである。
人間は、産業界の発展のため、発明の保護と利用を図るため、特許制度を成立させた。特許制度を前提としたパテントトロールの活動は産業界にマイナスしか生まない。そこで、米国ではパテントトロールの活動を抜本的に規制し「環境」を大きく変える制度改革に動き出したのである。
このように、動物世界では意志を持って変わることのない「環境」自体を、あるべき姿を目指して大きく変化させること、これこそが全体主義という概念を持つ人間ならではのものなのだ。パテントトロールのような盗人の戦略は今後、産業界の中で不安定で定着しづらいものとなり、完全ではないにしても今後大きく抑えられるだろう。そして人間は特許制度を、パテントトロール対策に限らず、現行の制度を悪用したあらゆる戦略を自浄するものに進化させて行くだろう。(了)
脚注
(1) Konrad Lorenz『King Solomon's Ring』(Er redete mit dem Vieh, den Vögeln und den Fischen, 1949)
(2) 米国における知的財産情勢~特許制度改革の現状~ (PDF) 澤井智毅(特許庁総務課情報技術企画室長)、独立行政法人経済産業研究所 BPLセミナー2008