チスイコウモリに学ぶ助け合い社会
~情けは人のためならず~
他人を助けることは自分にとって何かメリットがあるのだろうか?
「情けは人のためならず」
このことわざ、耳にしたことのある方は多いのではないだろうか?
これは、「他人に親切にすれば、それはやがて巡り巡って良い報いとなり自分に戻ってくる」という意味である。
このことわざは広く知られてはいるものの、実際のところ、ビジネスシーンをはじめとする人間社会の多くの場面で、これを意識して行動している人は少ないのではないだろうか。
その理由としては、他者を気に掛ける余裕がない、自分にとってのメリットがないように思われる・・・などが挙げられるだろう。
しかし、本当にそのような行動は自分にとってメリットがないのだろうか?今回は、このことわざの人間社会における真偽のほどについて、動物行動学の観点から考察してみよう。
~動物世界における「情けは人のためならず」~
動物行動学における“他者のために行う行動”は「利他行動」と呼ばれている。
この一見すると自身の得にはならないように見える行動は、多くの動物において有益な戦略として浸透している。
ここでは、チスイコウモリを例にその行動について考察してみよう。
チスイコウモリは南米に生息する小型の吸血性のコウモリである。
彼らは群れをなして生息し、動物の血液を唯一の食料としている。このチスイコウモリは、興味深い「利他行動」を取ることで知られている。
それは、腹を空かせた他の個体に対し、満腹な個体が血液を分け与えるというものである。驚くことに、この「利他行動」はごく自然に群れの中に浸透している。
この一見すると自身にとってデメリットしかないように見える戦略は、なぜ集団内で浸透しているのだろうか?その理由について以下で解説しよう。
これは、チスイコウモリの体重(飢餓状態)と、餓死するまでの時間の相関関係を示したグラフである。[1]
縦軸は満腹時を100%としたチスイコウモリの体重、横軸は餓死までの残り時間である。
このグラフを見て明らかなように、ほぼ満腹の状態(D)の者が満腹時体重の5%分の血液を与えてEの状態になったとしても、「餓死するまでの残り時間」はC(約7時間)しか減少せず、危機的な状態にはならない。
しかし、ある程度飢餓状態が進行した者(R)が同量(満腹時体重5%分)の血液をもらって飢餓を脱した状態(F)になると「餓死するまでの残り時間」は、残りわずかな状態からB(約18時間)だけ増加する。
すなわち、同じ量の血液のやり取りがなされても、満腹な者が失う残り時間の大きさ(Cの絶対値|C|)に比べ、飢餓状態に近い者が得る残り時間の大きさ(Bの絶対値|B|)は圧倒的に大きくなる
そして、他の個体に血液を与える親切な個体は、自身が飢餓状態になった際に他の個体から血液を分けてもらいやすいものの、他者に血液を分け与えない自己中心的な個体は飢餓状態になった際に拒否されやすいということも研究から明らかとなっている。
このため、生命の脅かされる環境下における個々のチスイコウモリにとっては、「他者を助ける」という戦略が、結果的には自身の生き残り率を上げることとなる。
この結果、チスイコウモリの集団内においては、「助け合い」が安定的な戦略として浸透するのである。
~人間社会における「情けは人のためならず」~
このような戦略は、人間社会のビジネスシーンや個人的な人間関係においても有益なものとして機能するだろう。
たとえばビジネスシーンにおいては破綻企業の再生のための友好的M&A取引などが例として挙げられる。個人の生存にかかわるものとしては骨髄ドナー、寄付による途上国への予防接種普及などが挙げられるだろう。また、人間関係の場面においては、就職や異性との出会いに困窮している人への紹介などが挙げられる。
これらのいずれも、提供する側が余裕のある状態であれば、その行為によりこうむるリスクは自身を脅かすものとはならない。
しかし、提供される側はその状態が危機的であればあるほど、提供者から得るものの効果は大きく、その生命や社会的地位などの破たんを免れることができる。
そしてこのような利他行動を取った結果、その恩を感謝している人や、その利他行動を知っている他者は、「この相手ならば自分が危機の時に助けてくれる可能性が高い」と判断するだろう。
その結果、彼らは「この相手を助けることは将来の自分のリスク低減につながる」と判断し、利他行動をとった者が危機に陥った際に、直接的に危機を救ってくれるような利他行動を起こしてくれる可能性が高まる。
このため人間社会においても、自身が安全で余裕がある時に「利他行動」という戦略を採用しておくことで、自身が将来的に最悪な状態に陥るリスクを低減することができると考えられる。
「情けは人のためならず」、これは決して綺麗ごとではなく、長期的に判断すると自身にとっては利益となる、人間社会においても非常に優れた生き残り戦略なのである。(了)
脚注
[1] Reciprocal food sharing in the vampire bat - Gerald S. Wilkinson
NATURE VOL.308.8 MARCH 1984