常識を疑え!

「有事の円買い」という言葉がありますが、日本国内で大事件が起きた場合にはどうなるのでしょうか。

2017年9月13日 八木 裕

 「有事の円買い」、機関投資家や為替ディーラーの間でよく聞かれるのがこの言葉です。世界情勢で不安定要因が発生したり何か大変なことがあると、安全資産と言われる日本円の人気が上がって円が買われる、つまり他国の通貨と比較して円の価値が上昇するという現象です。

 昨年起きた出来事では、米国大統領選においてトランプ候補優勢が伝わると、米ドル-日本円レートは大きく円高に振れました。また、イギリスのEU離脱が決まると、やはりユーロ-日本円や英ポンド-日本円のみならず、米ドル-日本円も大きく円高に動きました。

 日本は治安面でも安全な国であり、また巨額の対外債権を保有しておりインフレの心配もないことから、投資家等が資産を保全するのには日本円が適していると思われているため起こる現象ですが、それでは当の日本の国内で大変な事件が起きた場合にはどうなるのでしょうか?

 2011年3月11日、東日本大震災当時を思い返してみましょう。地震が発生したのが金曜日の午後。週末は為替マーケットが休場となるため、週明けの月曜から日本のマーケットでは猛烈な円高に襲われていきます。ヤフーファイナンスで3月10日の米ドル-日本円レートを確認すると、終値が82円87銭、これが3月17日には安値77円16銭と、僅か数日の間に対米ドルで5円以上円高となり、1995年に記録した円高の過去最高値を更新してしまいました。この当時、輸出企業で為替業務に携わっていた方や、金融機関の為替ディーラー、また個人で為替取引を行っていた方は、あまりに急激な円高の動きにおそらく相当なショックを受けたことでしょう。

 通常、大地震が発生するとその国の経済に打撃を与え、その国の通貨安を引き起こすと思われがちです。どこかの国で巨大地震が発生して、その国の通貨を積極的に買いたい、と思う人はあまりいないだろうと想像するのが通常の感覚だと思います。しかし3.11の地震後に起きたのは急激な円高でした。

 これは、日本の保険会社が保険金を支払うため、外貨建て資産を円に転換するだろうという思惑の結果、円高になったと解説されています。では実際に保険会社が保険金支払いをすると円高になるのでしょうか?

 日本の保険会社が地震で支払うのは、地震保険金と生命保険金です。日本損害保険協会、および日本生命保険協会によると、この時の地震保険金の支払いは1兆2,600億円(※1)、生命保険金の支払いは1,600億円、合計で1兆4,200億円でした。日本の保険会社は、この1兆円を超える資金を捻出しなければなりません。保険各社の2011年当時の決算書を見てみると、外貨建て資産の割合は会社によってまちまちですが概ね20%程度(※2)。資産の割合から単純に考えれば、為替取引で3,000億円程度の資金を外貨から円に換える必要が出てきます。

 次に、為替市場における取引量を確認してみます。BIS(国際決済銀行)の調査では一日あたりの米ドル-日本円取引額は3,000億ドル(当時のレートで約25兆円)程度です。ドル建て資産については、数か月の期間のうちに保険金支払いに必要な資金を確保する必要があります。

 保険金支払いには相応の手続きが必要であり、支払認定のための調査作業には多少なりとも時間がかかります。仮に三か月の間に保険金を支払う、と考えると一日当たりの円転額は僅か30~40億円。巨大な為替市場全体からすれば、取引額はほんの一部となります。

 以上の数値からすれば、報道等で言われている、地震によって保険会社が保険金支払いのため外貨を円転する、という話は影響しないと言えます。震災直後の猛烈な円高の原因は、保険金支払いのような円を必要とする場面を想定した投資家(ヘッジファンド等)が、自分に有利になるように為替の持ち高を調整することによる影響、と考えるのが自然ではないでしょうか。

 「有事の円買い」に見られるように、金融市場において日々ニュースで解説されていることは、実は後付けの理由だったり、事実と異なる説明がなされていることが多々あります。外貨建て資産を含め分散投資することは資産運用上有効である、という金融論の教科書に必ず載っている基本的なエッセンスも、実は疑ってかからないといけないのかもしれません。


※1)2011年当時、地震保険は一度の地震に対して総額5兆5,000億円が保険金支払いの上限額として設定されていた。上限額はその後増額され、現在は11兆円。

※2)生命保険会社は外貨建て資産割合を公表。損害保険会社は有価証券の明細から外貨建て資産割合を推定。

著者紹介
八木 裕Yutaka YAGI

金融機関の経理部門在職中にリーマンブラザーズ破たんを目の当たりにし、会社の寿命は永遠ではないことを悟る。
高品質な人材の育成と供給を目標として奔走中。