コラム

異質との出会いを大切に

2018年12月10日 酒井 良介

 アラン・チューリングという名前を聞いたことがあるでしょうか。第2次世界大戦中はドイツの暗号「エニグマ」の解読チームのリーダーを務め、現代の人工知能にも通ずる仮想機械「チューリングテスト」の概念提唱をはじめ、数学の世界において多大な業績を残しているイギリス生まれの天才数学者です。このチューリングが生涯に1度だけ、動物の骨や模様を形作る仕組みに関する理論(以下「チューリング理論」という。)を発表しています。今日ではいわゆる「チューリングパターン」(*1)として知られる模様等の形成の仕組みを数学的に示した論文です 。


 筆者が学生の頃、所属していた大学に近藤滋という先生(*2)がいました。この方は「タテジマキンチャクダイ」という熱帯魚の模様がチューリング理論に基づいて形成されていることを世界で初めて明らかにした生命科学分野の研究者です。


 著書中(*3)に記載されていますが、近藤先生はもともと動物の形態形成に強い関心をお持ちだったそうで、受精卵という1個の球体からいかにして複雑な体が形成されるのかについて、「細胞分裂を始めた受精卵中にはじめから目や手足になるためのきっかけ(注釈:ある分子濃度の勾配)が存在しており、それに基づいて起きる」という当時の業界常識に対して、「精密な動物の体を作るには、それだけでは情報量が決定的に足りない」という理由から疑問を持っていたそうです。そのため、「自立的にパターンを作る原理」が存在すると信じていたとのことです。


 近藤先生のような他人が気づいていないものを見つける能力、と口で言うのは簡単ですが、容易なことではないでしょう。思考の柔軟性のみならず、精神的な強さも求められるかもしれません。
近藤先生の場合も「安易に業界常識に迎合せずに納得できるまで探究する」という、科学者としてのあるべき姿を貫き、孤独や不安と向き合いながら、所属していた研究室には内緒で熱帯魚を飼育・観察することで発見した、と言います(*4)。


 今後このような能力は人工知能(AI)の出現によって、より一層重要になるかもしれません。ここ数年、AIに関する話題がメディアでも取り上げられることが多く、囲碁や将棋の世界では、既にプロ棋士でさえも負かしてしまうほどの存在となっています。将来的には多くの業務がAIで代替されてしまうのではないかという不安を持つ方も多いことと思います。自分がそうならないための一つの考え方として、個々の出来事を従来の枠組みにあてはめることのできる「熟練者」、その上であてはまらない事象に対しては柔軟に枠組みを変更・修正することのできる「創造者」、の要素を持ちたいところです。この「創造者」の要素は、AIが想定し難い、完全にパターンから外れた不測の事態についても解決する術を与えてくれると考えます。


 近藤先生がチューリング理論を立証する過程において筆者が注目した点は、近藤先生の専門とする生命科学分野の手法でなく専門外の数理科学の手法を選択したこと、すなわち突然変異の原因となる遺伝子等の「物」を探すアプローチでなく振動などの動きや変化が周囲に伝搬していく「波」を探すアプローチを選択したことにあります。研究の方向性の選択において、専門の生命科学から専門外の数理科学へ、「物探し」から「波探し」へと、柔軟に枠組みを変更・修正し、適切な手法を選択したということではないか、と考えます。


 思考の枠組みを柔軟に変えることが出来るためには、知識を増やす営みである基礎科目(国語、算数、理科、社会)の勉強だけでは足りず、新たな視点を増やす必要があると思います。新たな視点を増やす簡単な方法として、異質な人との交流を通じて刺激を受ける、ということがあろうと思います。異質と感じる人は、自身の持つ考え方の視点とは異なる枠組みを有しているからこそ、異質であり得るのです。その異質な考え方に触れることで、自分の思考の視点を見直すことは大切なことではないでしょうか。


 著書で近藤先生は専門が異なる数理生物学者との議論を「非常に新鮮な体験だった。」と書いています(*5)。この著書では明示されていませんが、このときの議論が研究手法の選択に影響を与えたのかもしれません。


 今後、従来の常識や既存の枠組みが通用しなくなる場面が増えていくと思われます。異文化、異業界のさまざまな人との交流が、新たな発見や創造のきっかけとなり、変化する社会を乗り越えるヒントとなるのではないでしょうか。(了)

(*1)https://www.brh.co.jp/seimeishi/journal/011/to_1.html 
(*2)現在は大阪大学大学院生命機能研究科に所属されています。
   研究室HP: https://www.fbs-osaka-kondolabo.net/
(*3)近藤滋著「波紋と螺旋とフィボナッチ」(秀潤社)
(*4)近藤滋著「波紋と螺旋とフィボナッチ」(秀潤社)
(*5)近藤滋著「波紋と螺旋とフィボナッチ」(秀潤社)




著者紹介
酒井 良介 Sakai Ryosuke

理学部物理学科卒。素粒子宇宙物理学専攻。
学部4年生で光合成の研究室に入るものの、サンプルのバクテリアを全滅させかけ、生き物以外を研究対象とすることを決意。
修士時代は国際リニアコライダー計画に魅かれ「スピン偏極電子ビーム生成」に情熱を捧げる。
大学院修士課程修了後は素材メーカへ就職し、製造・技術開発の技術者を経て現職。
苦手分野は家事全般。