守るべき世界観と守りたい世界感

2022年3月31日 辻井 珠奈

 「着物警察」と呼ばれる年配の女性たちがいる。彼女らは和装の着物を着ている若者を呼び止め、その着方の誤りを指摘したり、若い女性の着物が比較的安い生地で作られていることを馬鹿にしたり、時にはトイレに連れ込み着直させたりする人もいるという。この「着物警察」たちの持つ心理については多様な考察がなされているようだが ¹、この中の一つにある「伝統や型を固持し、新しいものを認めない心理」が過激な行動の主な動機になっているように思える。
 伝統・型を頑なに守ろうとする人と、従来の取り組みをよい方向に革新しようとする人との間で衝突が起こる場面はよく見られる。伝統文化一般、現代にいたる地域文化の捉え方一般、さらには会社などの組織内の習慣等一般、にも言えることである。
 この頑なに守ろうとする人たちの思考を筆者なりに整理してみる。日本民族文化を象徴する衣装の着方を(本人の思い込みを含めて)正しく知っていることは自らの社会的優位性であり、自分への誇りと他者への優越感を抱き、他者に具体的な啓発行動をとることで自己満足を深めている、と言えそうだ。和装着物業界が戦略として薄利多売ではなく高級化路線をとって久しい²ということも、こうした傾向を後押ししている面もあるだろう。
 しかしながら和装はファッションの一つであり、現代の洋服一般と同様に、もともと自由に着てよいものであり、決められた着方はない。最近でこそファッションリーダーの情報発信などによって比較的自由な着物な着方が社会的に認知されるようにはなっているが、まだまだ「着物はこういうものだ」「崩して着るなんてとんでもない」という考えをもつ人は一定規模存在しているのではないだろうか。

 今度は「伝統・型」と「革新」が入り混じる、筆者が長年打ち込んできたバレエ(ダンス)の世界ではどうだろうかと思いを馳せてみる。
 バレエは昔の日本では“お嬢様の習い事”として広まったためか、静かに上品に黙って観ることが多いためか、所謂“高尚”なもの、楽しむハードルが高いというイメージがついて回る。実際、バレエを習っている人、その観客もその上品さを重要視している人がしばしば見られる。しかしながら「コメディバレエ」というジャンルもあり、娯楽性だけでなく技術・芸術性から主流のダンス評論家の好評を博している³。彼らは古典バレエへの愛、敬意、プライドをもって演じており、「バレエ」の一つとしてバレエの「高尚」なイメージを崩した代表的な例だろう。
 自分のもつ“高貴なイメージ”に即してないという思い、自分が感じていた世界を土足で踏まれる感じがするという思いで新しい様式の出現を頭ごなしに否定してしまうことは、もったいないことではないだろうか。コメディバレエ鑑賞を通じて、「ではクラシックバレエはどんなものだろう」とクラシックバレエ観劇に行き着いて、良さを認識する人もいるだろうし、“高尚なバレエ”を守る論を張る一人になる可能性もある。コメディバレエが極端な例だとしても、現在は「ロマンティックバレエ」「クラシックバレエ」「ネオクラシックバレエ」「モダンバレエ」等様々な“本格的な”バレエがある。時代の流れとともに大衆化、衰退の危機、また古典的世界観への反発から、再生、変化、或いは分岐して確立されてきたものである。それらバレエは、クラシックバレエに類される「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」のような幻想的で美しい作品だけではない。「ジゼル」「ラ・シルフィード」などホラーストーリーというべき作品や、さらにはモダンバレエに類される「牧神の午後」や「春の祭典」などの、時に官能性やおどろおどろしさを含む作品もある。“クラシック”バレエ修業時代の私自身も抵抗感を覚え、自分の世界観を崩された気持ちになった作品もあったが、後になってその考えは自分のバレエの世界を感じたいだけで、自分が思っていた世界観はバレエ全体のほんの一部に過ぎなかったのだとわかっていった。

 バレエだけでなく伝統文化だと現代で思われている事柄も、創設当時は奇抜な試みとして批判されたものも多いことだろう。また現代に伝わる伝統文化の様式も、時代を追って少しずつ変わってきたものが多い。それは各分野の歴史を少々学ぶとわかる。長い時間の中で変わっていない事柄や、現代に至って伝統に相応しいと解釈された事柄については、保守的に踏襲・継続すること、関係者が多面的に検証したスタイルを“崩さず”残すことで、“どこからどこまでが伝統文化なのか”という輪郭が形成されてきたのだと思う。
 一方で、その伝統文化の改革・刷新を目指して新しいスタイルが出てきた際に、保守的に踏襲・継続しようと頑なに考える人たちが下す批判の根拠は、直観的で好き嫌いに基づく表現をすることが多いのではないか。しかし革新的な行動を起こした方にも評価の根拠があってやっていることだ。実はその両方の立場の人が共通に持っている評価基準は、かつて保守的な人たちが思考錯誤の時間を止めていたからこそ作り上げてきた評価基準で、その一部の変更について賛否を論じている話だ、とも言えるだろう。
 伝統文化の保守革新議論は他分野かつ無限にあり、筆者はクラシックバレエについて少々深めにものを言えるに過ぎない。変化しようとする人、そうでない人、どちらの立場にも言い分があり、それを双方さらに第三者も、違う言い分を尊重した上で寛容な議論や表現が行われていくことが好ましいと、あらためて感じる。そして、伝統文化に限らず、自分の囚われている世界観を固持し、外へ押し付けていることはないだろうか。その世界観のとおりの社会でなければならないのか。単に自分の“世界感”だけで好き嫌いの話をしていないだろうか。自分は多面的に検証して物事を言っているのか。そうしたことを時々振り返ることは、自分を豊かにしてくれることのように思う。

 ウクライナの首都・キエフはバレエ界にとって有名な地の一つである。本稿執筆中の現在、劇場を含む市街地が爆撃を受け、ダンサーも銃を手に戦地に向かうニュースを聞くたび、より一層胸が痛む。一刻も早く事態が終息することを強く願っている。

¹ 例えば
  https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12242068867
  https://www.youtube.com/watch?v=rezIYoDRNRk  
  https://note.com/karasu_toragara/n/ndeaa24ff57df            など。

² https://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/seizou/wasou_shinkou/pdf/report01_01_00.pdf

³ トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団に代表されるジャンルであり、もともとはバレエ愛好家のグループが伝統的なクラシックバレエを遊び心あるエンターテイメントの観点でパロディとして表現することを目的として設立されたもの、そして女性バレリーナ役を踊りたい男性ダンサーが集まったバレエ団が公演する。当初は細々と公演を行っていたが、ニューヨークで人気を博し、大規模な劇場でも公演するようになった。さらにはロシアのボリショイ劇場でも公演し、イギリスではダンス界の名誉ある賞を受賞するに至っている。
https://trockadero.org/about-us/history/
https://web.archive.org/web/20120701235212/http://www.glbtq.com/arts/ballet_trock.html

著者紹介
辻井 珠奈Tamana TSUJII

企画業務から知的財産調査業務まで幅広く行うよろず屋。古今東西の文化をたしなみ、多趣味と言われる。ミレニアル世代。クラシックバレエやフットサルにいそしみつつ、ウズベキスタンを再訪する旅に出たくて心がうずくこの頃。